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2004.05.29

猫の思い出

 白状すると(それほどのことでもないけれど)、わたしは上に形容詞がふたつみっつつくほどの犬好きです。そのわたしが、ずっと忘れられずにいる1匹の猫がいます。その猫と暮らした短い時間は、幼かったわたしに命というものをはじめて意識させてくれた日々でした。

 迷い猫を拾ってきてペロと名付けて飼っていたのは、たしか小学校4年生くらいのときでした。ペロはなぜかわが家のステレオの裏で用を足したがりました。ペロが壁とステレオのあいだの狭い隙間に入っていくと、わたしは大あわてでつかまえて、家の外に出します。それでも気がつくとぷうんとにおってくることがありました。鼻が曲がるほどの臭いがするそれを処理するのは、わたしの仕事でした。息を止めながら何枚も重ねたティッシュでブツをつかみとり、カーペット用洗剤や霧吹きの水で現状回復をするべく苦心します。10歳かそこらの子どもにとってつらい仕事でした。ツーンとする悪臭が居間に漂っていると、仕事から帰ってきた父の機嫌が悪くなります。「猫なんか捨ててしまえ!」と叱られるのを恐れ、ペロを捨てられたくない一心で一所懸命世話をしました。

 夜のあいだペロを外に出すのもわたしの役目でした。ペロは玄関ドアの前まで連れてこられると、外に出されるのを嫌がりました。わたしの腕のなかでもがく猫の温かな感触。ペロはしばらく玄関ドアの外側でみゃあみゃあと鳴いていますが、やがて、諦めてどこかへ行ってしまいます。その間、ほんの20分くらいだったでしょうか。毎晩、ペロの声がきこえなくなるまで、わたしは玄関ドアの内側にずっと座っていました。

 わたしが生まれ育った旭川市は夏は酷暑、冬は酷寒の盆地気候です。水道管が凍結するような真冬も、わが家は夜のあいだペロを外に出すことになっていました。当時、ひと冬のうちには零下20度ほどになる日が何日かありました。いくら毛皮があるといっても、猫だって寒いに決まっています。「こんな日まで外に出せというお父さんは冷たい人だ」と心のなかでは思いながらも、猫を捨てられるのが怖くて親には逆らえません。翌日は寒くなるという予報の夜は、なるべく夜更かしをして遅くまでペロを家のなかにおいておき、翌朝は大人よりも早起きをしました。すると、どこで夜を明かしてきたのか、家に入れてほしくてみゃあみゃあ鳴いています。2階の寝室から玄関におりていく階段の途中でその声がきこえると、ほんとうにほっとしたものです。残る数段を駆けおりるようにしてペロを迎えにいきました。

 ある寒い夜のことでした。いつものように「ごめんね。お父さんに叱られるから、外に出てね。明日、なるべく早く迎えにくるから……」と声をかけてペロを外に出しました。その晩、なんとなく予感めいたものがありました。ペロはいつもほどには閉じられたドアの前で鳴かず、いつになくあっさりとどこかへ行ってしまったのです。寒い寒い夜でした。そして、翌朝ペロは帰ってきませんでした。

 20数年前のあの夜の記憶は、「今晩だけはペロといっしょに寝てもいい?」と父に頼まなかった後悔とともに、いまもわたしのなかにはっきりと残っています。“猫は自分の死期を察して姿を消す”とはよくいわれますが、あの寒い夜、ペロが何を考えてわたしのもとを去っていったのかと思うことがあります。真夏の開放的な夜ならともかく、どの家も扉を閉ざしている厳寒の夜にペロはどこへ行ったのか、と。

 猫好きの絵本作家の知人からいただいた猫のカレンダーを眺めながら、灯油ストーブの前で気持ちよさそうに眠るペロを思い出しました。わたしを頼り、懇願するようにみゃあみゃあ鳴く声が蘇ってきます。あの声をもう一度きいてみたい気がしました。

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2004.05.28

歯のない年齢

 ここのところ、まじめに歯科医院に通っています。でも、歯を削るときのキーンという機械の音と口のなかに水分が飛び散る感じが大嫌い(好きな人はあまりいないと思うけれど)。歯科医院のなかに足を踏み入れるたびに、子どものころ神経を抜く治療をしたときに「痛い!」といえないくらい痛い思いをした恐怖が蘇ります。以来、歯科医院は虫歯が痛いとか、詰めものがはずれたとか、何かトラブルがないかぎり、できるだけ近寄りたくない場所でした。

 昨秋、その「何か」が起こり、やむなく歯医者さんのお世話になりました。以前通っていた新宿の歯科医院の先生はなんだか乱暴だったし、うーんと昔、札幌でおつとめしていたころに通っていた歯科医院の先生は優しくて、親知らずもうまいぐあいに抜いてくださったけれど、悲しいことに名前を忘れてしまっています。症状の悪化と治療の痛みを想像しただけで心細いのに、また怒りっぽい先生にあたったらいやだなあ、一応仕事を抱えている身だし、予約診療とは名ばかりのやたらと待たせる医院も困る。はて、どうしよう。
 こうなったら口コミに頼るしかありません。札幌在住のありとあらゆる友だちに、「お勧めの歯医者さんを教えて!」とメールしました。そのとき大学時代からの友人に教えてもらったのが、いま通っている歯科医院です。時計台に近く、治療の帰りに書店で仕事の資料を買ったり、デパ地下で夕食の材料を買ってくることもできる。これは願ったりかなったり。長いつきあいの友人の紹介という安心感もあり、すぐにその医院に決めて予約を入れました。

 そのときのトラブルは痛みの「い」の字も感じないうちに、あっというまに治療終了。完全予約制ですので、待ち時間ゼロです。問題箇所の治療のほか、歯茎を引き締めるための歯ブラシ指導もしていただき、ああ、この歯科医院なら……と思い、「半年以内に歯の健康診断にいらっしゃい」という先生のお話に従って、半年後、医院を再訪しました。
 半年間の歯茎マッサージが功を奏し、少し腫れ気味だった歯茎がきれいなピンク色になっていました。「つぎは噛みあわせを治していきましょう」と先生。
 え、噛みあわせ? 前歯は比較的きちんと歯が並んでいるので、自分の噛みあわせに治療が必要だとは思いもしませんでした。けれども先生が指摘する奥歯の問題点には、確かに思いあたることがあります。自分の歯の大きさや並びかたにすっかり慣れているので、問題があると気づいていなかっただけなのですね。
 それから通院すること10回。きのう、右の上下の奥歯の治療がほぼ終了しました。いびつな形を整え、上下の歯でしっかり噛めるように治療した歯のすばらしいこと! 奥歯が食べものをすりつぶす感触を生まれてはじめて味わったような気さえしました。

「片山さん、歯があるのは口ですね。食べものをとりいれる口は人間の命なんですよ。“命”という字から“口”をとったらどうなります? そう、年齢の“齢”の略字“令”になりますね。つまり、“歯”のない年齢になってしまうんです。もちろん、年をとっても入れ歯で食べたり、病気をしてもチューブから栄養をとることができます。だけどね、自分の歯でしっかり噛んで食べることが何にもまさるエネルギーの源であり、長生きの秘訣なんですよ……」

 とおっしゃる先生によると、噛みあわせなど歯全体のバランスを考えた治療は時間も手間もかかるので、外から見てわかるほど歯並びが悪くないかぎり、歯科医側も患者側も治療したがらないケースが少なくないそうです。
 でも、右側の噛みあわせが改善されたいま、わたしは左側の治療が待ち遠しくてしかたありません。むむ、どうしたんだ。あんなに歯医者さんが嫌いだったのに。

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2004.05.23

緑燃ゆ

 この週末、札幌はいいお天気でした。自宅のベランダから見える山の緑が濃くなっています。日中は半袖でもいいほどの陽気で、春から初夏への移り変わりを実感。
 近いうちに藻岩山にのぼってみよう。チョビが迷子になったのはこのあたりかなと考えながら。(わかる人にはわかりますね>チョビ)
 その前に大急ぎで大通公園のライラックを眺めてこなくちゃ。大通公園名物トウモロコシも忘れずに。

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2004.05.15

イニシエーション・ラブ

 某カルト教団を思い出させるタイトルと、「今年最大の“問題作”かもしれません。ぜひ、2度読まれることをお勧めします」という帯の文句に反応し、乾くるみ著『イニシエーション・ラブ』を読了しました。
 予想していた内容とは大きな隔たりがありました。原書房の〈ミステリー・リーグ〉に収められていますが、ミステリというより、どこにでもあるほろ苦い青春の恋愛ドラマという印象。だから、「今年最大の“問題作”」というコピーに過剰な期待は禁物です。激しさやドロドロとした内面描写がこれでもかとつづられている作品ではありません。それでもついページをめくってしまうのは、自分のまわりにも似たような時代があったという記憶のせいでしょう。目次から仕掛けられた伏線とともに、ふと昔を振り返りたくなる1冊。

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2004.05.13

 同窓――同じ学校で学んだこと。また、その人。(大辞林より)

 ここ1年ほど、高校の同窓会・同期会に顔を出しています。卒業してから20年近い年月を経て会う同期生たち。それでも、同期会で会うと高校時代に戻って「~くん」「~ちゃん」と呼びあう不思議な親近感がわいてきます。ただ同じ校舎で同じ風景を眺めながら3年間を過ごしただけのつながりなのに、この妙に懐かしく居心地のいい空間はなんなのでしょう。

 わたしが卒業した高校は、地方都市のいわゆる進学校でした。授業なんてろくに聞いていない(ように見える)のに、いざテストをすると「え、なんでそんなに点とれるの?」と思わずにいられない勉強の天才が大勢いました。けっして出来のいいほうではなかったわたしから見ると、そんな彼・彼女らがどれほどまぶしかったことか。
 同期会で連絡先を交換しては、「こんど米軍の戦闘機のことで質問させて」と防衛庁職員の某くんに無理やり頼み、「肩こりがひどいのだけど、どうしたらいい?」と整形外科医の某くんにメールし、「在外公館の暮らしってどんな感じ?」とミーハーまるだしで外交官夫人の某さんに話しかけ――いやはや頼もしい同期でありがたいような、「困ったときには相談にのってね」とお願いすることしかできないわが身が情けないような。翻訳者なんて、友だちの役に立ちそうにないですもんね。

 今週は同窓会の幹事会に出席しました。同期会とは違い、なかには自分の親より年上の大先輩もいらっしゃいます。13期上の女性の先輩は、同窓会総会の幹事当番で忙しく過ごした去年、幹事仲間の同期と不思議な結びつきを感じたとおっしゃっていました。「同期生って男性でもない、女性でもない、第3の“せい”なのよね」
 ああ、そうか。同期会で味わうあの心地よさの正体が、ちょっとだけわかったような気がしました。高校を卒業したあとの長い時間に成長した同期の仲間は、同性とも異性ともいえない魅力にあふれ、やはりいまもわたしの目にまぶしく見えていたのです。
 幹事会の帰り際、札幌で医院を開業していらっしゃるという17期上の先輩が声をかけてくださいました。自分は勉強をしたから医師になれたし、有名大学を卒業して社会でそれなりの地位についている同窓生も多い。だけど、安定した生活にはない夢も見たい気分なんだ。きみたちのような仕事についている同窓生を応援するよ――温かいことばに感謝しつつ、不出来な後輩だけれど、先輩の励ましに恥じない訳書を出したいと思った夜でした。

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2004.05.09

 いま、札幌はお花見終盤戦。たぶん、この週末は、北海道神宮の桜の下でジンギスカンをつつく会社仲間や家族連れが多かったのではないかしら。会社勤めをやめて以来、こういう北海道流のお花見をする機会はなくなりましたが、それでも桜を観たい。たとえ北海道にはソメイヨシノが少ないし、葉桜でキレイじゃないよといわれようと、毎年5月の連休が近づくとなんとなくソワソワします。
 お花見に行く予定もありませんし、ペーパードライバーの身ではふらっと桜の名所にドライブというわけにもいきません。でも、やっぱり桜が観たい。そこで今朝、桜探しの散歩に出かけました。案の定、満開を通り越して花より葉が目立つ木が多かったけれど、なんとかギリギリセーフで今年の桜を目に焼きつけてきました。咲いていてくれてありがとう!
 来年は微風にそよぐ満開の桜を観たいものです。森山直太朗が「さくら」で唄っているではありませんか。“さくら さくら 今、咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って”と。桜はその美しさを愛でる時間を一瞬しか与えてくれません。すぐに散ってしまうはかない運命。だからこそ舞い落ちる花びらを浴びながら、この桜を来年まで記憶にとどめておこう、と毎年思うのです。

〈ただいま読書中!〉
 ただいまルアン・ライス著 『背信の海』を読書中。少女連続殺人事件の被告弁護人と失踪した妹を捜す女性が出会って、やがて惹かれあい、新たな少女殺人事件が起こり……というお話。もう16冊も書いている作家ですが、邦訳はこの作品がはじめてとか。日本未紹介の作家は大歓迎! どしどし出していただきたいです>各出版社さま

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